<雑誌> 悲劇喜劇 早川書房1968 年 5月号「持ち役訪問 28 宮口精二」(「明智光秀」の写真有り)1969 年 5月号宮口さんと、森雅之氏、小沢栄太郎氏の座談会を『芝居よ、こんにちは!』という題で、冒頭18ページにわたり掲載。宮口さんの発言は少なめだそうです。宮口さんの主な発言は、文学座分裂の時、劇団の改革案を出したこと。幹部だけれど閑職で、自分の知らないことが新聞に発表されていた。商業演劇の役者でなんとなく軽蔑していたような人が、新劇の人より仕事が立派。と言ったところだそうです。また、森雅之さんから「文学座の頃と全然違って、劇団の中にいる時のイライラがなくなってる」と言われているそうです。 1970 年 3月号宮口さんによる岩田豊雄氏の追悼記事が掲載されているそうです。 1979 年 8月号346 特集・せりふ術特集「せりふ術」で、宮口さんによる 「、。……」という文章が4ページ掲載されています。1982 年11月号 特集・東野英治郎アンケート・東野英治郎の舞台から 1983 年1月号 特集・瀧沢修アンケート・瀧沢修の舞台から 1983 年2月号 特集・千田是也アンケート・千田是也の舞台から 1983 年3月号 特集・宇野重吉アンケート・宇野重吉の舞台から 1983 年4月号 特集・山田五十鈴アンケート・山田五十鈴の舞台から 1983 年5月号 特集・中村伸郎「中村伸郎さんと私 −素描風に−」 宮口精二1983 年6月号 特集・小沢栄太郎アンケート・小沢栄太郎の舞台から 1983 年7月号 特集・田村秋子「色あせた写真 −田村秋子さんのこと−」 宮口精二1983 年9月号 特集・久保田万太郎「不幸」宮口精二・『萩すゝき』(63年文学座)舞台写真 1983 年12月号 追悼 さようなら龍岡さん龍岡晋の追悼文 1985 年 6月号戌井市郎氏による「追悼『孤独の人−宮口さん−』という記事が掲載されているそうです。 1992 年 7月号特集「あの芝居、あの人(下)」で、松本克平氏による「宮口精二さんと『俳優館』」という記事が掲載されているそうです。 2001 年10月号連載コーナーで文学座の後輩だった丹阿弥谷津子さんが、2Pにわたって 「心に残る人・宮口精二」という宮口さんの思い出を書いているそうです。<写真掲載> 1955 年 9月号 「只ほど高いものはない」1958 年 12月号 「マクベス」(バンクォー役)1960 年 8月号 「ゴド−を待ちながら」1962 年 3月号 「パリ繁昌記」(西本役)---------------
日本演劇 昭和 19年(1944年)7月号舞台「怒涛」公演終了後の 「公演を終へて」という宮口さんの文章が掲載されています。「日本現代演劇史 昭和戦中篇II」(大笹吉雄著 白水社)に、この文章の一部が掲載されています。映画ファン 1953年9月号黒澤明監督と七人の侍(志村喬・三船敏郎・加東大介・木村功・千秋実・稲葉義男・宮口精二)の伊豆ロケ中の座談が掲載されています。この座談は 『黒沢明と木下惠介 素晴らしき巨星 キネマ旬報臨時増刊1998年8月3日号』に再収録されています。洋酒天国 23-24 1958年4月25日 洋酒天国社「酔って件の如し2 宮口精二」写真:田沼武能 モノクロ 2ページ。写真3枚掲載。漫画讀本 1958年5月「アンパイア自画自賛〜どんな試合でもアンパイヤなしでは始まらない〜」 週刊サンケイ 1960年1月11日「速成カメラマンの失敗」 日本 NIPPON 1961年3月「みんな自分で選んだ道だ〜演劇に灯りをともし続けて二十五年」 キネマ旬報 1963年4月号増刊3380 黒沢明<その作品と顔>宮口さんの文章 「強いやつ」が掲載されています。この、「黒沢明<その作品と顔>」は、1997年に「黒澤明コレクション」として、「<黒沢明・三船敏郎>二人の日本人」「黒澤明ドキュメント」と3冊セットで復刻されています。民藝の仲間 80 劇団民藝 1965年「特集新劇の二十年・演技ベストテン」戸板康二 演劇評論家の戸板康二氏が演技ベストテンとして、「明智光秀」の斎藤内蔵助を演じた宮口さんをあげています。写真もあり。 週刊 TVガイド 1972年12月1日号「お久し振り !“七人の侍” オールドファン必見!! 東宝創立記念番組に集まった “栄光のスター”たち」1972 年11月25日放送の東宝創立40周年記念番組の記事に、19年ぶりに集まった「七人の侍」のメンバーの写真を掲載。モノクロ、2ページ(写真は1枚)。週刊文春 1975年12月18日イーデス・ハンソン対談 103七人の侍≠フ剣豪・宮口精二が見た「黒沢明はやっぱり帝王である」週刊朝日 1976年10月29日連載 NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」から あらすじ<第四十三話>武蔵の風雲モノクロ2ページの連載。撮影合間の宮口さんと草刈正雄さんの写真が掲載されています。 週刊文春 1978年6月8日「 NEW LIFE 自作自演の演歌」週刊平凡 1981年3月19日号コーナー 「エッセイ 自らペンでえがく… 2600字のドラマ」の第123回目に、宮口さんのエッセイ「窓際役者の夢」が掲載されています(2ページ)。月刊文藝春秋 1981年4月号関東随筆( p85〜86)に、宮口さんによる「マッチポンプ」と言う文章を掲載。この文章は『巻頭随筆(V)』(文春文庫)に収録されています。JUNON 1983年7月「 13年間、役者がつくる役者の雑誌『俳優館』を出しつづけている俳優宮口精二さん」週刊平凡 1983年7月14日「ユニークな演劇小冊子を 13年間ひとりで編集・発行の宮口精二」月刊誌うえの 85年1月号宮口さんが書いた年賀状が掲載されています。実際にはこの頃すでに病床にあったので、年賀状は出されなかったそうです。 週刊平凡 1985年5月3日「ガンに倒れる国鉄マン≠ェ最後の仕事になった宮口精二さん孤高の役者人生」 女性セブン 1985年5月2日「宮口精二 肺がんで急逝・たばこ 1日60本。「仕事がしたい」と最後まで言い続けて」キネマ旬報 1985年6月上旬号 911 キネマ旬報社西村雄一郎氏による、 [特別寄稿] 『宮口精二が語る黒澤明の人と作品』を3ページにわたり掲載。内容は「巨匠のメチエ」とほぼ同じですが、微妙に違うところもあり。ノーサイド 1995年2月号 戦後が匂う映画俳優 文藝春秋特集:戦後が匂う映画俳優198人の中に、宮口精二さんが選ばれています。また、本間千代子さんによる宮口さんのエッセイ 「日本の男の凄み」が掲載されています。写真は「七人の侍」。文藝春秋 2002年2月号 文藝春秋コラムニストの中野翠さんによる、 「風貌のいい男80人」で、宮口さんが80人のうちの一人に選ばれています。顔写真1枚掲載。
報知グラフ 10月号 ('98-5) 黒澤明その世界 報知新聞社「七人の侍」の記念撮影の写真と神道流の師範が見守るリハーサル風景の写真あり。
ドラマ -脚本の世界- 1980年4月号 映人社1980 年3月23日に放送されたラジオドラマ「羆嵐」の脚本が掲載されています。 |
トミーさん、さばずしさん、どうもありがとうございました
最終更新日2004年8月29日
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