トラ・トラ・トラ!
実際に、山本五十六が見舞に来る病院のシーンを撮影したが、黒澤明監督降板にともない
「黒澤さんが演出されないのなら、私も残る必要はない」と宮口さんも降板。以下、
俳優館 宮口精二<対談> 白川書院 P17〜19 より〜昭和45年 7月 新宿 志ほやにて 田村高廣さんと共に〜
宮口…そうでしたか。あたしも、ちょうど名古屋の名鉄ホールで芝居していたときに、黒沢さんからじきじきの電話で、宮口君出てくれっていわれたんです。芝居が終わったら息抜きのために京都へ行って少し遊んで来ようと思っていたんだけれど、ロケーションに行く都合があるのですぐ帰って来いというので、東京に戻って黒沢プロへ行ったんだ。そのときは下準備の話だけかと思っていたら、いきなり扮装写真を撮らされたり…。(笑)
田村…(略)。…宮口さんの役は?
宮口…吉田善吾という、山本五十六の前任の司令長官なんですよ。
田村…(略)。あれはセット撮影をやったんじゃないんですか?
宮口… …(笑)やったんですよ。
田村…病院のシーンでしょう。きいた、きいた―。
宮口…病院のベットで僕が山本五十六から来た手紙を読んでいるところのシーンなんだ。僕は黒沢さんの性質はよく知っているんだけれど、黒沢調にすぐ応じられる男じゃないんだよ、のんきだから…。
田村…そうですか…。(笑)
宮口…扮装テストでいろいろ注文が出て、やっと本番に入ろうというところに、撮影の状況がどうなっているのか、自分の靴をつっかけ、白衣のままで、てこてこステージのなかへ入って行ったんですよ。すると黒沢さんがそれを見つけて、手を振るのよ。あっちへ行け、あっちへ行け!っていうわけなんだ。黒沢さんとしてはいやしくも司令長官の吉田善吾が病院にいるのに、白衣のままで、てこてこ入って来ちゃいかん、っていう訳だよ。宮口精二じゃなくて、司令長官なんだから、ステージに入るときには、俳優の控室から自動車で送り迎えしろっていうんですよ。
田村…へえっ!
宮口…しかも入って来るときには営兵が「吉田善吾閣下入ります!」っていえっていうんだ。営兵といっても撮影所のガードマンなんだけれど、いちいち声をかけるわけなんだよ。そして、僕が入って行くときには録音だけれどラッパが、パッパッパッって鳴るんだ。するとスタッフの連中が赤いじゅうたんを敷いてある両側で敬礼するなかを、悠然とセットに入って来いっていうんだ。(笑)だから、てこてこ俳優控室から歩いてきちゃいかんのだ。
田村…もってのほかですね、これは。(笑)
宮口…それくらい役になり切るために、心構えを日常茶飯事のなかに作ってこいっていう黒澤さんの意図なんだ。こっちはぞろっぺな奴だから、わかんないんだよ。(笑)
田村…そりゃあ、大変だな。
宮口…またね、山本五十六からの手紙を読むのに、何回かのテストのために「吉田善吾殿」って書いてある封筒を切るわけでしょう。だけど、昔の東宝の小道具さんなら、なんべんリハーサルしても大丈夫なようにちゃんと用意してあるんだけれど、京都でしょう。黒沢さんの呼吸を知っている人はいないやね。だから員数だけ揃えておけばいいっていうんで、何通か揃えたなかに、時代劇の果し状が入っていたんだよ。
田村…はあ!
宮口…それを黒沢さんが点検したわけだ。で怒っちゃったんだよ、黒沢さんが―。
田村…そうですか。
宮口…これもささいなことの一つですけれどいろんな条件が重なって、黒沢さんノイローゼ説が出たわけです。もうワンシーン残っていたんだけど、来年にするからって、東京に帰ったら、しばらくしてどこかの新聞か、週刊誌に黒沢さんのノイローゼの原因は宮口精二のためだなんて、デマが飛んだな。後で、人から聞いて驚いたよ。(笑)
年が明けて『トラ・トラ・トラ』についていろいろな説が新聞に出た…。その時分黒沢さんから電話がかかって来て「世間では僕のことを気違いだといっているけれど、気違いでもなんでもない、電話では話せないけれど、事情があってこの撮影をしばらく中断するけれど、待っていてくれ」っていうお話がありましたよ。
で、黒沢さんが下りちゃって、次の監督が引きつづいてやることになったんだけれど、僕にも同じ役で出てくれっていって来たんだけれど、僕は黒沢さんだから出るんで、そんな事件の起った後で、黒沢さんのためにも厭だから断わっちゃったんだ。
田村…そうですか。(略)
宮口…こんどの『どですかでん』はいつもより順調ですごく早く撮っちゃったっていうからね。やっぱり黒沢さんていう人は、偉い人だよ。役者の意外な面を引き出してくれるのは黒沢さんだな。あの『七人の侍』なんかも、黒沢さんの役者の使い方のうまさ、これはと思ったらトコトンまで役者の個性をフルに吸い上げてくれる―。そのかわり厳しいや、もう。絶対、できませんなんてグウもいわせないね。
〜俳優館 宮口精二<対談> 白川書院 P17〜19 より〜
「黒澤さんが演出されないのなら、私も残る必要はない」は、キネマ旬報1985年6月上旬号[特別寄稿]『宮口精二が語る黒澤明の人と作品』より。
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